草花に覆われた女人堂跡の坂道を登る女性ハイカーたち。
 
 
日光いろは坂を歩いた。
馬返から第一いろは坂を登って、中禅寺湖畔の大鳥居を目指した。
華厳滝が源流の大谷川に架かる栄橋付近は屏風のような絶壁が連なっている。
ほどなく、つづら折りの急カーブが始まる。
第一いろは坂は、かつて中禅寺道と呼ばれ、男体山の登山道であった。
中禅寺が霊場だった名残りが女人堂跡である。
急な石段の上に建つ朱塗りのお堂は、初夏の木漏れ日と春蝉の鳴き声に包まれている。白い矢車草の花が風に揺れている。
明治初期まで中禅寺は女人禁制であった。女性たちは女人堂から男体山を拝んだという。
剣が峰、中の茶屋跡を過ぎ、「む」のカーブから見える地層むき出しの男体山の崩落跡は凄まじい。段々畑のように植林した崩落防止工事が行われている。
中禅寺湖畔を行き交うたくさんの観光客や車から霊場の雰囲気を感じ取ることはできない。
しかし、つづら折りのいろは坂に沿って落ち込む深い渓谷や多数の滝、ミズナラやブナの巨木、春蝉たちは、悠久の生命を、今に伝えている。
信太 一高