褐色の甲羅の大きさは3センチ未満。蟹の横ばいながら動きは素早い。
 
 
 子供のころ、秋田の田舎で沢蟹を捕って遊んだが、食べた記憶はない。
 後年、横浜の寿司屋で食べた沢蟹の空揚げが印象深い。生きている沢蟹をそのまま油で揚げる残酷料理だった。しかし甲羅や足はかりかりして美味しかった。
 生きたままの鯛や鰺の活き造り、海老や白魚の踊り食いなどのように、食べ物に関して人間は相当残忍である。残忍性を隠ぺいするために「食文化」というオブラートに包んで、カムフラージュしているんじゃなかろうか?
 飽食の時代といわれる今こそ残酷料理は謙虚に反省したいと思っている。 
 少なくとも動物が生きているときは生物として接したい。食べるのは死んでからにしたい。つまり生物の生と死を分けて考えたい。しかし食べることは生物の生命を奪うことである。食べられるものたちへの感謝の念を常時持ち続けたい。
 那須岳山麓の標高1000m付近の小沢で沢蟹を見つけた。ハサミを出して横ばいでザワザワ動いている。残忍性を帯びた食指が動いた。しかしグーッとおさえた。
信太 一高