田舎暮らしをするときに、いちばん頭を悩ますのは住むための土地探しと人間関係だ。
 自分が住みたいと思う田舎に親戚や友人、知人などがいない人は、田舎暮らしの情報誌や田舎物件専門の不動産業者、大手の別荘分譲地などから地元の情報を集める。土地や建築価格などがおおむね把握できる。時間の許す限り住みたいと思う田舎に足を運び、民宿やペンションなどのこじんまりとした宿に泊まり、「定住するための土地を探しているんだが・・・」と何気なく聞いてみる手もある。
 住みたい市町村が決まったら、地域の高低の地形や降雪の気候、北や南方向などの全体的な特徴を把握する。そのためには年間を通して足を運び、自分の目で確かめることがいちばんだ。
 リゾート地や別荘地域の場合、初夏から中秋にかけてのベストシーズンは気候も良く、多くの観光客で賑わい、プラスの面 に目がいきがちだ。やはり、冬や梅雨時などにも訪れて、住みたい地域の気候を確かめたい。
 土地探しの重要な注意点として、
●水害の危険性があるので、河川の近くは避ける。
●「沢」や「窪」、「谷地」などの地名がついている場所は湿地の可能性があるので梅雨時や大雨の時に現認する。
●崩れる危険があるので、山などの景色が良くても、急斜面とその直下は避ける(特に別 荘地の場合)。
●土埃や糞尿の臭いが飛んで来るので、広大な畑地や牧草地、牧場の近くは避ける。
●購入予定の土地が、四メートル以上の公道に面していなければ住宅は建てられないので、その確認。(相場より安い土地は特に注意が必要)
●農村部や林間地に多いのが公共水道の有無。(水道が来ていない場合は井戸を掘る)などがある。
 農村部であれ、林間地や別荘地であれいずれの場合も、土地は一〇坪でも広めに購入し、家は小さめに建てる。地続きの土地の買い増しはほとんど不可能に近い。また、隣に相性の合わない人が引っ越して来たときも土地が広いと助かる。
 逆に、家の建増しは容易なので、不便を感じない程度に建て、住み慣れてから増築した方が楽しみと人との交流も増える。
 土地と人間は密接な関係にある。人間同士の友好や軋轢は、ほとんど隣国や隣家、隣人との間で起こっている。仲良しグループで購入すれば可能かも知れないが、一般 的に隣人を選ぶことはできない。
 隣人と友好的に付き合うことができれば、快適で豊かな田舎暮らしを送ることが約束される。だが、軋轢が生じた場合、憂鬱な田舎暮らしになりかねない。
 田舎暮らしを始めたいと思っている人の最大の関心事は、近所とどう付き合うかにある。
 都会から田舎に住んでまもない頃は、隣家に家の建築や引っ越しのとき世話になっているので、どうしても隣家と深い付き合いになりがちだ。その隣家を快く思っていない人も地域にはいるものだ。特に、農村部では家や車など隣同士で張り合って買うこともあるくらい、「隣」を意識している。精神的ストレスを受けないためには地域の人たちとは、「等距離外交で常識的な範囲で、平均的に付き合い、一日も早く田舎の生活に慣れること」が田舎暮らしをするうえの基本姿勢だ。都会も田舎もそんなに差はないと思うのだが・・・。
 高速道路や新幹線などの交通網やインターネットなどの通信網の整備普及で都会と田舎の距離は縮まり、ますます田舎暮らしがしやすい環境にある。
 なんとなくや憧れだけで田舎暮らしを続けることはできない。きちんとした目的を持ってこそ田舎暮らしが楽しくなる。たとえば、家庭菜園などで農的田舎暮らしをしたい人は農村部に、陶芸や染色などの工芸的なものやアウトドアライフなどを中心に田舎暮らしをしたい人は、近所付き合いの少ない別 荘地や林間地を求めた方が良い。
 一年ほどで、神奈川県のある都市に戻った家族がいた。三〇代後半の夫婦と小学生の女の子の三人家族。夫の仕事は測量 関係で出張が多い。住み慣れた場所は、交通渋滞や住宅の過密などで、生活環境が悪化しつつあった。
 良き生活環境を求めて、栃木県の那須で田舎暮らしを始めた。夫は出張続きで、寝る場所がかわった程度の生活の変化。子供は一学年四〇人程度の田舎の小さい学校でのびのびしていた。
 しかし、専業主婦の妻の生活はガラリと変わった。三〇代後半の専業主婦と付き合える女性がいない。田舎の、この年代の女性たちのほとんどは仕事をしている。
 那須を離れるとき、妻は、「子供の教育環境が良いところに戻ります」と言っていたらしい。夫は、「女房がどうしても神奈川に戻りたいというもんで・・・」と話していた。  妻が、田舎の暮らしに自分の目的を持たなかったことが失敗の要因だ。
 都会から田舎に移住する人たちには、かつて「都落ち」の影が付きまとったが、田舎に住んで新幹線通 勤をするサラリーマンが「ゆとり派」としてマスコミで紹介されるようになり、マイナスイメージは払拭された。
 特に、定年後に田舎暮らしを始める人は、人生八〇歳時代に入り、定年後の二〇年以上をどのように過ごすかが大きな課題になった。体力や知力、精力がみなぎっていた二〇代や三〇代ならいざ知らず、やや疲弊気味の体力と磨耗した精神力で、「未知の二〇年間と遭遇」することになる。未体験の二〇年間を過ごすキーワードは「健康」である。健康を守るために、自然豊かな田舎で、(安全な)食物を作り、のんびり過ごしたいものだ。
 最後に、都会の便利は交通の便、田舎の不便は交通の便なので、「自動車運転免許証」は田舎暮らしの必需品になったことを付け加えたい。
 田舎には、大きな空間とゆったりした時間が流れている。
 疲弊した体力と磨耗した精神力は、田舎に残っている自然の空間と時間が癒してくれる。                                       
              (日本経済新聞夕刊2000年4月14日掲載)

 特に、定年後に田舎暮らしを始める人は、人生八〇歳時代に入り、定年後の二〇年以上をどのように過ごすかが大きな課題になった。体力や知力、精力がみなぎっていた二〇代や三〇代ならいざ知らず、やや疲弊気味の体力と磨耗した精神力で、「未知の二〇年間と遭遇」することになる。未体験の二〇年間を過ごすキーワードは「健康」である。健康を守るために、自然豊かな田舎で、(安全な)食物を作り、のんびり過ごしたいものだ。
 最後に、都会の便利は交通の便、田舎の不便は交通の便なので、「自動車運転免許証」は田舎暮らしの必需品になったことを付け加えたい。
 田舎には、大きな空間とゆったりした時間が流れている。
 疲弊した体力と磨耗した精神力は、田舎に残っている自然の空間と時間が癒してくれる。                                      
               (日本経済新聞夕刊2000年4月14日掲載)

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