わたしは、栃木県那須町の雑木林の中で暮らしている。四三歳のとき、千葉県市川市から転居して、今年で一一年目になる。
 那須には、東京へ新幹線通勤するサラリーマンや定年後に移住した人たちの他に、多くの画家や彫刻家、陶芸家、染織家たちが都会から移住している。
 田舎は、土地価格が安い。都会に比べて広いアトリエを持てるに大きな利点がある。
 経済的な利点もさることながら、自然の中の暮らしで、鳥たちのさえずりで目覚め、曙光を浴び、清浄な空気を吸いながら、自然の声や音、光り、色彩 、揺らぎなどを直接、実感する生活で感性を磨いているように思える。
 自然空間には、植物や動物、大気などのさまざまな色彩や音声、形態が限り無くある。それらが発しているシグナルからインスピレーションを得られるからではないだろうか。
 わたしたちを取り巻く生活や文化、芸術表現などの多くは、自然の中からヒントを得て発展してきた。
 とりわけ、芸術表現で他人のマネでないものを創り出すには、色彩や音声、形態のルーツである自然の中から感じ取る方法がある。
 窓の近くに樹高が一〇メートルを超えるヤマザクラがある。薄いピンクの花が散り、林内は新緑に覆われていた、ある日の早朝に二階の窓から見た不思議な光景がある。
 林内にはまったく風がなく、時が止まったように動くものは何もない。枝に付いているたくさんの葉の中で、一枚の葉だけがピクーンと、中指で鍵盤を突くように揺れた。しばらくして近くの下の葉がブルッと震えた。動かないと思っていた植物が揺れ動いたことに驚いた。
 しかし、生きているものは動いても不思議ではない。
 このような現象を、小説家の畑山博氏は「植物言葉」、「植物ポエム」があるからではないかと、『「超俗」の生活』という著書の中で述べている。シャープで深い感性に驚嘆してしまう。
 初夏の朝五時頃、二階の窓から何気なく外に目をやった。シイタケのほた木の上を銀色に輝きながら動くものがいる。野良犬かな?と思った。が、犬は木に上がらないはずだ。二匹の子どものキツネだった。キツネはキツネ色といわれる茶色だと思い込んでいた。
 大人のキツネは、確かにキツネ色だが、子どもは銀毛に見える。
 逆V字型に組んだ、一メートルほどのほた木の舞台で、キツネたちは胴体をくねらし、太い尻尾を揺らし、グリーンシャワーを浴びながら宙を舞うように踊っていた。
 食物となる小動物を狩ったことを小躍りして喜んでいたのだろうか。それとも、兄弟で遊んでいたのだろうか。
 これをキッカケに、わたしの心からは、キツネにまつわる、ずるいとか、人をだますなどのマイナスイメージが払拭された。
 ずるいことや人間をだましているのは、人間たちではないか、と言われているような気がする。
 キツネは早春に分娩する。生まれた子どもたちは、四〜五ヶ月の間、母子兄弟で暮らした後、それぞれ単独で旅に出て暮らす----と、ものの本にある。兄弟の別れを惜しんでいたのだろうか。
 ある年の黄昏れ、稲刈りの終わった田んぼから那須岳の写真を撮っていた。道の端を痩せた犬のような動物がトボトボとこちらに向かって歩いて来た。50メートルほどに距離が縮んだとき、キツネだとわかった。かつて、窓から見た銀色に輝いていたキツネの記憶がフラッシュバックした。
 キツネ観を良い方向へイメージチェンジしていたわたしは、親しみを込めて「おぉい」と声をかけてみた。だが、キツネはまったくこちらを見る間もなく、あぜ道を一目散に走り、近くの雑木林の中に消えた。疾風のようだった。
 野生動物の警戒心は健在だった。
 新美南吉の童話『ごんぎつね』は、 いたずらばかりしていた「キツネのごん」が 罪ほろぼしのために、松茸や栗などを百姓の兵十に届ける。が、最後は鉄砲で撃たれてしまうーといったストーリーで、撃たれたごんには、「償いの満足感」がある。しかし、兵十には「ごんを理解できなかった悔恨」が残った、というふうに思っているが・・・。
 わたしたちは、長い間の思い込みや先入観のタガをはずすことはとても難しい。
 動物や草木たちのように形があって目に見える生命と、大気などから感じる、目に見えない気(け)といったような生命が雑木林にはある。
 思い込みや先入観のタガを緩める方法は、生命の息吹を見ることである。動物や草木、大気などが発する生命の息吹が雑木林には充満している。

              (小学館・総合教育技術2000年8月号掲載)

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